2008年12月22日月曜日

イメージの削除。新しい見地。状況の変化。

前回のブログで「ステップアップには正しい判断ができるようになるということも含まれる」というような内容を記述しましたが、単に、自分が成長するというだけの意味ではなく、様々なことにも通じると思うんです。
「イメージの削除」
「新しい見地」
継続している状況は、つい概念的に捉えがちですが、状況は気づかぬうちに変化していることが多いようです。
例えば、娘との接し方。
彼女はまだ~だから、~な接し方で上手くいっている。
そんなふうに思っていましたが、先日の個人面談で、私の知らない娘の姿を聞かされ、「人も変化している」ということを改めて認識しました。
子どもの場合はそれを「成長」と呼ぶのでしょうが、大人の場合は単に変化を成長というのはムリがあり、良くも悪くも変化するのが人間ですよね。
そして、善悪両方混在するのも。
嘘がつけないと矛盾が多くなる。
だってどっちも本当だから。
人はそんな思いの中から無意識に選択しながら動向を決めているのかもしれないですね。
娘へのアプローチの仕方を少し変えなければいけない時期に差し掛かっているみたいです。
そんなことを何度か繰り返して、子どもと共に親も成長していくのでしょうね。
子どもの場合は「それ」が必ずやってきますし、親もそれなりに心積もりはしているので、変化にまったく気づかないということは殆どないと思いますが、自分を取り巻く大人の場合は、なかなかそうはいかないようです。
大人の場合はある程度完成されていますし、継続して存在しているので、固定観念(イメージ)が強すぎて、変化になかなか気づけないことがあるように感じます。
「この人はこういう人」
そのイメージはなかなか消えないようです。
たとえ、1回でも嘘つきだと思われると、その後でどんなに正直に行動してもなかなか嘘つきのイメージは消し去られない。
逆のパターンも同じで、今まで頑張りやさんで不平不満を言わない人だった場合、その後、少しずつ変化をして、いつの間にか不平や不満ばかりを言っていたとしても、1度ついた「頑張りやさん」のイメージはなかなか崩れずにいるものなのかもしれないですね。
DVなどもそれが原因のようです。
どんなにひどい暴力を受けても、時々見せる「やさしさ」や、以前のやさしかったイメージがなかなか抜けずに現実を正しく捉えることができない。
そこにはもしかしたら、「情」なども存在するのかもしれませんが、長引くと大事になってしまうことも多いですよね。
なので、冷静に現実を見極めるためにも、イメージの「削除」が必要なのだと思います。
「削除」をするには、勢いや勇気が必要なのかもしれませんが、決して否定的なことだとは私は思いません。
前に進むための必要な行為だと思うから。
現状をより良くするために。
情や執着心の削除。
現実を受け入れること。
そして、決断すること。
守りたいものがあるとするならば、それを行わなければいけない時もある。
自分を取り巻く環境すべてに通じることだと思うから。
私はそれを実行しようと思います。
そして、私を取り巻く環境の人たちにも、実行して欲しい、そんなふうに感じています。
受け入れず、状況が悪化する前に。
傷つく人が増える前に、手を尽くす。
手遅れになる前に。
もちろん取り戻したり、巻き返すことは可能だと思いますが、とても、とても長い時間が必要となることを忘れてはいけないですよね。

状況は変化しているから。

0 件のコメント: