2008年8月26日火曜日

性同一性障害の一つの捉え方

自分の中の当たり前(常識)と他者との違いが大きくて驚くことがあります。
まれにそうではないケースもありますが、ほとんどが価値観や嗜好の問題なのでどちらが正しいということではないのですが、このテーマだけは譲れないというものが「性同一性障害」です。
最近では、性同一性障害の認識度がだいぶ高くなったようで、「女性」としてまたは「男性」としての活躍の場が増えたように感じます。
テレビにもそういった方達が出演されていますが、「彼女達」に対する周りの出演者の態度(マナー)がまるでなっていないことに、しばしば腹を立ててしまうことがあります。
彼女達は「女性」であって「男性」ではないことを忘れているのでしょうか?

想像してみてください。
もし、自分が認識している性別とは違う別の体になってしまったら…
その体のままで思春期を迎えたらどれだけ辛いことか。

性同一性「障害」なんです。
健常ではなく障害なんです。

もし、私の娘が「実は男なのだ」と告白してきたら。
私の場合ですが、「娘の性別が違うこと」にショックを受けるのではなく「五体満足に生んであげられなかったこと」にショックを受けると思います。
体がそっくり違ってしまってるんですよ。
腕が一本足りない状態で生まれてきたり、心臓のバイパスが一本多い状態で生まれてきたり(私ですが…)、そういったこととなんら変わりないと思うんです。
つまり「正常」ではない状態で生まれてきてしまったということです。
もし、親だったら、子どもが正常ではなくて苦しんでいたら、必死になると思うんです。
のんきに「受け入れられない」なんて言っている場合ではないと思います。
例えば心臓が奇形だったら、手術のためにお金を用意したり、必死になって、体と心のケアに努めると思います。
おそらく「認めない」なんて言う親はいないでしょう。

確かに性同一性障害は目で確認できる障害ではないので、今まで認知されてこなかったということはあります。
しかし、一般的に認識されていない病気や障害は多数存在しますし、人間という生命体の不可思議は到底計り知れないのもであり、全部知っている(常識)と思っていることの脆さを今一度謙虚に、そして真摯に受け止めなければならないのかもしれないですね。

おそらく性同一性障害は後天性のものではないと私は思います。
テレビでよく見る光景ですが、「だってほんとは男なんだから」と言いながら、彼女達の体をさわる周りの出演者。
おそらく彼女達は張り裂けそうになりながら、「それ」を演じてると思います。
はっきり言いますが、「痴漢行為」の何ものでもありません!
ただでさえ辛い境遇の中を必死に生きてきたんですから、もっとデリカシーをもって接していただきたいものです。

しかし、この「私の常識」をママ友に話すと、全員が同じ意見ではないことに驚かされます。
自分の子どもがそうだったら受け入れられないという意見も少なくありません。
もちろん、私もそういったアンチな見地はあって当然だと思います。
しかし、認識してもらえずに苦しんでいる子どもたちが存在していると思うとむきにならずにはいられなくなります。
はい、譲れないですね。

このテーマはブログを始めた当初から、いつか書きたいと思っていました。
私はこれからも、「彼ら」「彼女ら」の理解者であり続けようと勝手に思っています…
だって私も親ですから。
いざという時、親は子どものためなら当たり前のように、なんの躊躇もなく命を捨てることができるんです。
私の場合、このテーマに関してのプライオリティは親ではなく、子どもですね。
なので、たまたま私の娘は違いましたが、「苦しんでいる子ども達」「苦しんできた子ども達」が存在しているなら、皆が少しでも楽になるように訴えつづけようと思います。


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