2008年10月28日火曜日

「おくりびと」

観て来ましたよー。
本木雅弘主演の映画です。
結論からいうと、持参したハンカチは涙と鼻水でビショビショになりました。
この映画には様々なテーマが散りばめられていて、観る人によって、感じ方や落としどころが、きっと全く違うのでしょうね。
観終わった後は、ホント、いろんなことを考えちゃいました。
納棺師の話だったんですけど、ところどころ「遺体側」目線のアングルで撮られているところがあるんですよ。
旅立っていった人たちの気持ちを想像してみたり、もし、自分が置いてく側になったらなど…考えちゃいましたね。
また、親子の結びつきみたいな題材もあり、娘と彼女の父親との関係について考えました。
今の娘と彼女の父親との関係の状態は、ある意味、私が作り上げてしまってるところがあるので、罪悪感みたいなものがすごい勢いで押し寄せましたよ。
そうなると自分のエゴとも向き合わなければなりませんし、苦しいですね…
観る人によって、賛否両論ありそうですが、とりあえず、「観る価値あり」な映画です。
「すごい良かったよ~!お勧め~!」みたいな盛り上がって言えるような感じはしっくりこないですけど、先にも言いましたが「価値ある映画」という言葉が一番近いですかね。
また、時期を置いてから観てみたいです。
その時の自分のコンディションによって、ピックアップするテーマが変わりそうなので。
うん、お勧めです。

2008年10月16日木曜日

幸せの認識と存在理由

今日はとても嬉しいできごとがありました。

私の職場には身体に障害を負った方もいるのですが、今朝、私が出社すると、私のマグカップにお茶を注いで持ってきてくれたんです。
私はまだ入社して3ヶ月も経っていないのですが、いつの間にか私のマグカップを覚えてくれてたんですね。

彼は脳にも障害が残ってしまっているようで、精神年齢も幼いといった印象を受けました。
彼の様々な「経緯」は社長から伺っていましたが、そこには、ほんとに様々なドラマがあり、それぞれの思いもあり、そして、たくさんの「愛」があるのかもしれません。
社長から話しを受けている間、泣きそうになってしまったことを覚えています。

私は彼に接する度に、障害を負う前の彼を想像してしまいます。
お会いしたことのない彼のご家族のことも考えます。
そして、人間の幸せの認識や、存在理由について思いを巡らせてしまいます。

障害を負う前の自分を彼が覚えているのかは知りませんが、今の自分を受け入れているように見えますし、以前の彼がしていたような職種とはまったく違う、今の職場での「彼の仕事」になんの躊躇もなく取り組んでいるように見えます。

私はシングルマザーなので夫は存在しませんが、もし、自分の愛する夫がある日突然、別の人格になってしまったら…
私はどんなふうに感じて、どんな行動をとるのか想像がなかなかできないです。
きっと物理的にも精神的にも依存していることが沢山あると思いますし、…心細く感じるかもしれません。
それと「寂しさ」もあると思います。
それでも、もちろんネガティブな要素だけではないと思いますが、やはり、当人になってみないとわからないですね。

この事柄については、1回のブログではなかなか完結しないでしょうね。
というか、答えなんてそれぞれ違うものなのは当然ですし、今の自分とその先の自分とでは全く違う感じ方をするかもしれませんし。

ただ、この先も彼に接する度に私の頭の中はフル回転になるでしょうし、ますますコンフューズド状態になってしまうのかもしれませんね。

はい、ずっと考えてみます。

2008年10月12日日曜日

FOODS☆

今日は、食べ物シリーズをドカッとUPしちゃいます↑

1個目☆運動会に作ったお弁当☆


2個め☆渋谷のフルーツパーラー西村のモンブランパフェ☆

3個目☆箱根(仙石が原)に行った時の夜ごはん☆


4個目☆おなじみ笑モンブランラテ☆

それぞれにまつわるお話しは、また追々…笑

2008年10月11日土曜日

生誕と死

日付は替わってしまいましたが、今日10月10日は娘の誕生日p(^-^)q
しかし、平日ということもあり、お誕生日会は日曜にすることにしました。
それでも、お誕生日当日に何もないというのも可哀想なので、”おとなのミスド”でドーナツを買って帰りました。
最近話題になってる、「and on and」というやつです。
ケーキだと帰るまでに傷んでしまいますし、おとなのミスドのドーナツを食べたがっていたので、お昼休みのうちに購入しておいた(会社の側にお店があるので)というしだいです。

残業後、帰宅したのは23:45。
(今日で)11歳の子どもはとっくに寝ている時間ですし、娘からも10時過ぎに「お休みメール」がきていましたが、私には確信があったんです。
絶対起きているなと。
案の定、起きてましたよ笑
”寝ていたけど、たまたま今、目が覚めてしまった”という振りをして。
もちろんウソはすぐにバレますよね。
なんといっても私は「親」ですから笑

それからは、パーティの始まりですよ。
色んな種類のドーナツを味見しながら、二人でお祝いです。
ミスドといっても「おとなの」がつくだけあって、美味しかったです。
チョコクリームもよくあるものではなく、酸味の効いた、まるでトリュフのような高級な感じでしたし、「普通の」ミスドと違って、どれも同じような味ということがなく、値段に見合ったものという感じでした。
夜中にパーティという、イレギュラーな感じにサプライズ的な要素も加わり、娘はとても喜んでくれましたよ。
ある意味、計画どおり(計算どおり?!)で私も満足でした笑

帰宅途中の電車の中で、いつもなら大好きな読書をするのですが、今日は読書もせずに、「娘の存在」について考えていました。
どんな存在と聞かれれば、漠然と「大切な存在」と答えるのでしょうが、日ごろから「大切な存在」ということを意識して生活している訳ではありませんし、面倒くさかったり、鬱陶しかったりということもよくあります。
子育てって手間がかかりますしねぇ笑

忙しかったり時間がないと、自分のことを優先する時もあり、物理的にしてあげられることの数も減るので、そんな自分にイラついてしまったり…
そんなことを考えているうちに、「もし、娘が突然不慮の事故とかで亡くなってしまったら、私はどんなふうに感じて、どんなふうな行動をとるのだろう?」なんてことを考えたりしました。
私の姉は7歳で亡くなっていますし、最近娘の小学校が4泊5日の体験学習に行ったという要素から、そのような発想が浮かんだのかもしれません。

…やばかったです。

そんなことをちょっと想像しただけなのに、電車の中なのに…
涙が…!
想像なのだからと、何度も言い聞かせたのですが、次から次へとポロポロ止まらなくなっちゃったんです。
しょうがない、ストールを鼻まで巻いて下を向きましたよ。
バレないように。
でも、何度も鼻をすすってしまったりしていたので、隣の人にはバレてたっぽいです…
超恥ずかしかったです。
最悪。
もう一度言いますが、単なる「想像」でですよ。
でも感慨深かったです。
「親ってこういうものなのかなぁ」って。

私は開き直ってしまっているのかもしれませんが、あまり親らしくないんです。
弱音を吐いてしまったり、落ち度を見せてしまったり、子どもっぽいですし…
娘にとって私は、「親」というより、助け合わなければならない「家族」という感じなのかもしれませんね。
ただ、完璧ではないけど、「今はこれで間違ってないな」というふうに思っています。
「今」はですけど。
娘は私を好きでいてくれてますし、憧れてくれてるみたいなので笑
また、何らかの変化があった時は、その時に考えて、違う選択をすればいいわけですし。

そんな決して完璧ではない私でも、子どもという存在を「欠くことのできないもの」として捉えているのだと再認識しました。

子どもはどんな存在かって?
もちろん、

「大切な存在」ですよ笑


2008年10月7日火曜日

「世界にありがとうの言葉を」~起~

「世界にありがとうの言葉を」


ふと幼い頃の記憶が蘇る。
こんなにも愛おしいものが存在する世界で満ち足りた思いとは裏腹にどうして不安が押し寄せるのだろう?

あの頃の私は、一人ぼっちで心細かったが確実に「世界」が変わり始めていた。

あれからどれくらいの月日がながれたのだろうか。
いつの間にか「話す」ということが日常に紛れてしまい区別がつかなくなってしまったような気がする。

私が言っていた「世界」は平和になったのだろうか。

母がいなくなってからの私は、母との世界を取り戻すため黙っている事を止めたのだった。

今では私が親になり、新しく訪れた世界と共に胸一杯の幸せや、焦りや、怒りや、充実感や、戸惑いやらが色を変えてやってきた。

私は初めて目にする世界に母の思いを重ねた。

母もまた「世界」の平和のために、私を思い大切にしてくれ正しい事をしていたのだろう。

今の私と同じように。

変化は日々訪れる。
いつの間にか手段が目的に摩り替わってしまうことがあり私はハッとする。

年をおうごとに体は疲れ、心も疲れてくる。
考えると疲れてしまうから考える事が少なくなる。

世界は今、そんな中に存在していると思えてくる。

皆、動物的になり世界が小さくなってきていると私は日々感じる。

今、見えているものの向こう側を見ようとしない。
家族の向こう側、地域の向こう側、時間の向こう側。

我が子を取り巻くさまざまな世界に目をやると途方に暮れる。
何から始めれば良いのか。

人類の世界の~積み重ね
母の世界の~積み重ね
そして、私の世界の~積み重ね

原因を探ると怒りがこみ上げるのはどうしてだろう?

「私達はもしかしたら前に進んでいないのではないか?」
そんなふうに、私は感じているのだろうか?

前に進む ことと あらを捜す こととは違うはずなのに。

答えはどこにあるのだろう。
積み重ねのあら捜しではない、きっともっと違うところに・・・

さまざまな世界を変えようとすると、どこからか波が押し寄せてくるから勇気がいるし、信念もいるし、体力もいる。
でも、その波にさえ忘れてはいけないものが存在するように思う。

私は我が子に言う。

「ありがとうは?」

「・・・あんとっ。」

そう、私達はそれを忘れているのかもしれない。


2008年10月6日月曜日

「世界にありがとうの言葉を」

「世界にありがとうの言葉を」


それはこんな夢だった。
「温かい」陽射しの中で私は母と肩を並べて座っていた。
幼い頃、随分と大人に見えた母は、こうして見るとまだ若く、きれいだった。

今までどこへ行っていたのかと尋ねると「さまざまなものを見てきたわ」とただ一言、遠い目をして母は答えた。
穏やかで静かな時間が流れた。
母は輝いていた。
私はそんな母から目が離せないでいると、母は少し首をかしげて目を細めながら私を見つめてこう言葉を続けた。

「私が世界だと思っていたものは縮小化された、ただの一部に過ぎなかったみたい。
でも、それが私にとっては全てで。向こう側があるなんて考えもしなかったわ。
その向こう側を見てきたの。
全部ではないけどね。」

困惑している私を見ると、母はクスクスっと笑い、細く長い指を組みながら人差し指をあごにあてて考えを巡らせていた。
いつも考え事をする時はそうするのである。

「例えて言うなら…ジャングルの奥地に住んでいる先住民。
そう、私は先住民だったの。
そこには、縮小化された全てが確かに揃っているわ。
家族も、友達も、毎日の仕事も、息抜きも、幸運も、トラブルも、喜びも、悲しみも、生誕も、死も。ありとあらゆるものがそこには存在した。
でもそれは全てではないの。
ジャングルの外には更に大きな世界が存在していたわ。
ジャングルの中は慣れているし、安全で居心地が良かったけど、一度ジャングルを出て外の世界を見てしまうと、全てだと思っていた世界がとても小さく見えたの。
私は知らなすぎた。
向こう側を。
知らないと言うより忘れていたのかもしれない。
だって毎日がとても忙しかったんですもの。
…本当は知っていたけど考えようとしなかっただけかもね。
でももう、知ってしまった以上は、ジャングルには戻れないわ。
もう戻りたくないの。」

母はそう言うと、ぎゅっと口を噤み前を向いた。
瞳は輝いたままだったが、まるで色あせたものを見るようなどこか悲しげな目で一点を見つめていた。

「もう行かなくちゃ。」

そう言うと母は、足元を踏み締めるように立ち上がり私を見つめた。
瞳と同じ栗色の長い髪が風になびいていた。

「早くしないと手遅れになるかもしれないわ。
そしたらみんなもジャングルには住めなくなるのよ。
外の世界は確かに存在するの。
見なかったり、見えないだけで本当に存在するの。
そこには希望も絶望もあるけど、私たちの力で絶望を希望に変えなくては。
どうすればいいのかわからないけど、とにかくやってみるわ。」

そう言うと母は振り返ることなく歩き始めた。
母は確かに人生を生きていた。

春の陽射しの縁側で母と過ごした時間を私は忘れないだろう。
ふと目をやると、そこには愛しい我が子が胸に顔をうずめてすやすやと眠っていた。

2008年10月1日水曜日

子離れ

娘が家を出て2日経ちます…

なーんて、実は月曜から4泊5日の宿泊体験学習に行っているんです。
娘が通う小学校が横浜市のモデル校になって、実験的に行われています。

子どもがいない間に羽を伸ばそう!と思っていたのですが、なんだか寂しいんですよね。
私は割りと自分の時間を持つほうなのですが、それは、娘がいつでも側にいることが前提だったようです。
いざ、いなくなると寂しくてそんな気になかなかなれないんです。
でも、どっちみち残業続きで「羽を伸ばす」なんてできないんですけどね(笑)
環境が変化して初めて自分の意外な一面が見れたという感じです。
「早く帰ってこないかなぁ。」と思いつつも、きっといざ帰ってきたら騒がしくって鬱陶しいんでしょうけど…(笑)

これも所謂一つの「失くして初めて気づく大切なもの」になるのでしょうね。
ホントに失ってしまう前に気がつけて良かったです。
それは、娘に限らず周りのあらゆることに必ず起こることですよね。
有限を無限に感じてしまう。
人生に起こりうる事柄のプチ体験を脳に経験させることができたので、これから暫くはそういったことを常に意識して何事にも取り組めたり、接したりすることができると思います。

一瞬一瞬、周りの全てを愛しく感じながら過ごせたらめちゃめちゃ幸せですよね。

ということで、「まだまだ子離れできていなかった?!」ママの気づきでした(笑)