2008年10月16日木曜日

幸せの認識と存在理由

今日はとても嬉しいできごとがありました。

私の職場には身体に障害を負った方もいるのですが、今朝、私が出社すると、私のマグカップにお茶を注いで持ってきてくれたんです。
私はまだ入社して3ヶ月も経っていないのですが、いつの間にか私のマグカップを覚えてくれてたんですね。

彼は脳にも障害が残ってしまっているようで、精神年齢も幼いといった印象を受けました。
彼の様々な「経緯」は社長から伺っていましたが、そこには、ほんとに様々なドラマがあり、それぞれの思いもあり、そして、たくさんの「愛」があるのかもしれません。
社長から話しを受けている間、泣きそうになってしまったことを覚えています。

私は彼に接する度に、障害を負う前の彼を想像してしまいます。
お会いしたことのない彼のご家族のことも考えます。
そして、人間の幸せの認識や、存在理由について思いを巡らせてしまいます。

障害を負う前の自分を彼が覚えているのかは知りませんが、今の自分を受け入れているように見えますし、以前の彼がしていたような職種とはまったく違う、今の職場での「彼の仕事」になんの躊躇もなく取り組んでいるように見えます。

私はシングルマザーなので夫は存在しませんが、もし、自分の愛する夫がある日突然、別の人格になってしまったら…
私はどんなふうに感じて、どんな行動をとるのか想像がなかなかできないです。
きっと物理的にも精神的にも依存していることが沢山あると思いますし、…心細く感じるかもしれません。
それと「寂しさ」もあると思います。
それでも、もちろんネガティブな要素だけではないと思いますが、やはり、当人になってみないとわからないですね。

この事柄については、1回のブログではなかなか完結しないでしょうね。
というか、答えなんてそれぞれ違うものなのは当然ですし、今の自分とその先の自分とでは全く違う感じ方をするかもしれませんし。

ただ、この先も彼に接する度に私の頭の中はフル回転になるでしょうし、ますますコンフューズド状態になってしまうのかもしれませんね。

はい、ずっと考えてみます。

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