2008年6月18日水曜日

あたりまえのこと

日曜に国立代々木競技場で開催されているシャネルのモバイルアートに行って来ました。


前売り券、当日券は全て完売だったので、キャンセルがでるまで並ぶことにしました。
スタッフの説明では、2~3時間はかかるということでしたが、小一時間程で入れましたよ。
中に入ると、まずヘッドホンを渡されます。
サウンドウォークという音声ガイドに導かれながら体験していくという形態で、なかなか面白かったです。
展示されているものは創作側の意図がもちろんあると思いますが、感じ方は人それぞれで、一緒に行った友人と私とでも全く違う感じ方をしていたようです。

私が中でも印象深かったのは ”AT THE BOTTOM" という作品で、大きな植木鉢のような筒を上から覗き込むと、壁面にいくつかの映像が映し出されるという物。
蝶やトンボのような昆虫の羽がひらひらと落ちて波にさらわれていくというような映像を見ながら色々なことを連想してしまいました。
最近、悲しいできごとが続きましたよね。
中国の地震、秋葉原の殺人事件、宮城岩手の地震。
落ちていく昆虫の羽が人の命だったり魂に思えて、波にさらわれて遠くに行ってしまったように感じてしまい、見ていて胸が苦しくなりました。
亡くなった方の中には、幼い子どもや志半ばで人生の幕を閉じた若い方もいましたよね。
私達は生きていること、それだけでも幸せなことであり、感謝しなければいけませんね。

そして今日6月18日は私の一番上の姉の命日で、わずか7歳で人生を終えたそうです。
早くに亡くなる人は良い人が多いと言いますが、姉も例外ではなくとても思いやりのある我慢強い健気な子だったようです。
母は「彼女は一生分の思いやりを7年間で使い切ったのよ」と言っていました。
姉が亡くなった1ヶ月後に私が生まれたので、私は直接姉に会ったことはありませんでしたが、姉が亡くなって35年経った今日、初めて姉のアルバムを見ました。
母は今まで辛くて写真を見れなかったそうです。
でも急に姉を忘れ去ってはいけないと思えたらしく、姉が大好きで最後に口にしたというスイカや様々な果物をたくさん買って帰ってきました。
私も母親になり、今なら母の気持ちが痛いほどわかります。
先ほどアルバムを見せてもらいましたが、辛かったですね。
生まれてから少しずつ成長していく姉。
とてもかわいい赤ちゃんで、父も母もとても嬉しそうに抱っこしていました。
動物園や海水浴の写真。
幼稚園に上がり、日付も徐々に進んでいく。
この写真の一年後、この半年後、この2ヵ月後…
そんなふうに考えると涙が溢れてきました。
父と母は私の娘に彼女の人柄や闘病中の話などを聞かせていました。
「健康で生きていることを当たり前だと思ってはいけない。命あることに感謝をしなくては」と。

様々なことにおいて、慣れてしまうとあたりまえになってしまうものなのですね。
「学校があることがあたりまえ」「蛇口から清潔な水が出てくることがあたりまえ」「家族がいてあたりまえ」「生きていてあたりまえ」
私達はつい有限を無限のことのように錯覚してしまうのかもしれないですね。
大切にできる存在があるうちは、目一杯大切にする。
だって失って初めて気づくなんて、そんなの哀しすぎます。
私も、もっと娘を大切に育てようと思いました。
そして、両親や、私を支えてくれている様々な人達も…
ホント感謝です!
でも普段は忙しくて忘れてしまいがちなんですけどね…
せめて思い出した時はありがとうの気持ちを何らかの形で表してみるのも良いかもしれないですね!



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